第82話   庄内竿の「竿士」と「竿師」   平成16年02月25日  

地元紙荘内日報昭和601018日付のコラム「庄内竿」の世界(13)で根上吾郎氏は竿師について面白い事を書いていた。

酒井家が庄内に入ってきて360余年になる。そして殿様が釣を奨励して釣は釣芸もしくは釣道となり釣が盛んに行われて来た。そんな中で名竿と呼ばれる竿を作ったのは、すべて藩士もしくはその子孫に限定されている。幕末の陶山運平、平野勘兵衛と明治・大正の丹羽庄衛門、上林義勝、中村吉次それに大正・昭和の山内善作等の名人然りである。そう云われて見れば、鶴岡の名人に順ずる人たちの多くも士族の末裔の方が圧倒的に多い様だ。その反面毎年数百本作って売っていた釣道具屋の竿には良いとされる竿はあっても、名竿はまず無いと云う。

そんな庄内の歴史的事実を踏まえ名竿を作った名人を竿士と呼ぶべきであり、釣道具屋その他大勢の竿を作った人は竿師と呼ぶと云うのである。

辞典で見ると「士」とは侍であるからそのように思える。また、「師」は先生という意味のほかに専門の技術を職業とする者を云うとあるから平民の出で釣具屋を営んでいる者が多かったからと考えられなくも無い。

たまたま上に上げた庄内の竿作りの名人達は、藩士の出であるからして、その様にも考えられなくもない。だから荘内に限って云えば、名人を竿士と呼んでも一向に差し支えない事になる。根上吾郎氏は故人であるから今となっては単に武士もしくはその子孫だからなのか、辞典を引いて意味を解釈して見たのかどうかは分からない。ただ、個人的には竿師の方が一芸に秀でた者でそれを職業とした者と解釈出来るから好きである。

自称竿師、道楽竿師などは当然の事として入れる事は出来ない。それらはすべて竿作りの迷人と呼ぶことにしている。